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深淵

書評や文芸評論を中心に。文学・芸術・哲学に関心があります。

『居心地の悪い部屋』(岸本佐知子 編訳)

 

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

 

  「文学」や「小説」作品を読むことで私たち読者は、物語に対する「心地よさ」や、納得のいく「結末」を求めている。ハッピーエンドにしろ、バッドエンドにしろ、作品の中には、ある種の「秩序」が形成されている。多くの「文学」や「小説」は、私たちの脳内で理解可能な領域でストーリーが展開されるのであり、それは、実際の現実社会での日々の出来事の延長であるのかもしれない。

 

 しかし一方で、大げさな表現かもしれないが、初読では私たちの脳内では理解が追いつくことのできないアウトローな作品も存在する。例えば、フランツ・カフカの『変身』は、平凡なセールスマンであったグレゴール・ザムザが、ある日巨大な毒虫に変わってしまうストーリーであるし、カミュの『異邦人』は、殺人の動機を「太陽のせい」と答える。これらは、「不条理文学」と呼ばれる作品群の名著である。

 

 そして、今回紹介する岸本佐知子 編訳『居心地の悪い部屋』(河出文庫・2015年)も「不条理文学」の一端として数えられるであろう。『居心地の悪い部屋』は、ブライアン・エヴンソン、アンナ・カヴァンなどといった短編の名手たちによる短篇集を集めた作品である。読者が、『居心地の悪い部屋』に収録されている短編作品を読み終え、残るものは「不快さ」や、タイトルの通り「居心地の悪さ」である。収録されている作品には、多くの小説や文学作品にみられるストーリー展開はほとんどない。例えば、収録されている作品の一つである、ブライアン・エヴンソンの「ヘベはジャリを殺す」では、冒頭から何の説明もなく、「ジャリのまぶたを縫い合わせてしまうと、へべはそこから先どうしていいかわからなくなった。(略)」という一文で物語は始まる。その後も、まぶたを縫われることに抵抗することもなく物語は進行する。

 私たちが、普段生きている世界とはかけ離れた出来事が作品の中で展開し、私たちは、作品に対して「気味の悪さ」や「非日常的だ」といった感情を抱くかもしれない。

 

 しかし、私たちが生きている世界も、この作品のような「不条理」で「不合理」な世界に生きているのではないだろうか。たしかに、言い過ぎた表現であるかもしれない。だが、浅田彰が『構造と力-記号論を超えて』(勁草書房・1983年)で次のように述べている。

 

人間を狂った生物とする考え方がある。実際、有機体が、確定的な生の方向=意味に従って、プログラムされたコースを歩んでいくとすれば、方向=意味の過剰を自然史的アプリオリとする人間は、放っておけばどちらを向いて走り出すかわからない、大変厄介な存在である。(略)人間はホモ・サピエンス(理性のヒト)である以前にまずホモ・デメンス(錯乱のヒト)なのだというモランの主張は、当然至極なものと言うことができる。

 

この主張は、なおアクチュアルである。現代社会は、突然大切な家族や最愛の人を殺害してしまう「殺人事件」や「無差別テロ」といった「不条理」な事件が多発している。さらには、私たちが住む日本は、自然災害の多い国である。東日本大震災での津波や、それに伴う原発事故は、突然日々の暮らしを喪失してしまった。このように、私たちの日々の暮らしというのは「不条理」の連続であり、「非日常」の連続である。

 『居心地の悪い部屋』で展開される物語は、決してフィクションの世界としてのみ認識してはならないのだ。私たちは、作品の中で展開される物語を現実を映し出す「鏡」として認識し、私たちの生きる社会がいかに「不条理」な世界であることを改めて認識しなければならないのである。