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研究と批評.

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

あいちトリエンナーレ2019 ーー「表現の不自由展・その後」試論

あいちトリエンナーレ2019「情の時代」内の企画展「表現の不自由展・その後」は、開催から3日足らずで中止に追い込まれる事態となった。政治的プロパガンダにしか見えないとされた作品に検閲や弾圧、市民からの抗議が殺到し、止むを得ずの判断だった。しかし…

『生きてるだけで、愛。』(関根光才)

「生きてるだけで」なんて簡単に言えない。その生きる「だけ」がどれほど困難な社会なのだろう。寧子(趣里)のように躁鬱による過眠症は、なかなか他者に理解されることはない。そんなものは甘えだ、楽しければ治るよ、と。だが、「生きる」ことを生きる「…

『ファイト・クラブ』と『ソーシャル・ネットワーク』(デヴィッド・フィンチャー)

映画が、作品のどこかでリアリズムを帯びるのであれば、それとも「世界は概念で出来上がっているから、作品は否応なくリアリティを有してしまう」(小泉義之)のであれば、デヴィッド・フィンチャー監督による『ファイト・クラブ』(1999年)と『ソーシャル…