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研究と批評.

あいちトリエンナーレ2019 ーー「表現の不自由展・その後」試論

 あいちトリエンナーレ2019「情の時代」内の企画展「表現の不自由展・その後」は、開催から3日足らずで中止に追い込まれる事態となった。政治的プロパガンダにしか見えないとされた作品に検閲や弾圧、市民からの抗議が殺到し、止むを得ずの判断だった。しかし、事態は収束の気配もなく、いまだにSNSなどでは議論が絶えることはない。こうした事態に、何人かのアーティストは、他の企画展に展示している作品を取り下げるなどの声明を発表し、表現における「不自由」に抗し、「自由」を探求する姿勢を示している。

 しかし、「表現の不自由」における「自由」とは何なのだろうか。言うまでもなく、表現の「自由」が守られることは必須の前提である。(無論、そんなものは虚妄に過ぎない)だが、逆説的にも、その「自由」が、「不自由」によって成立しているという前提を忘却してはならない。彼/女たちの反抗は、中高生が校則を破り煙草を吸う程度に過ぎないのだ。それは、「自由」の目的化によって生じるジレンマである。かつて、エーリッヒ・フロムは、ナチズム時代の国民性を「自由からの逃走」と表現したが、今回の騒動の背景は、むしろ「不自由からの逃走」と言えるだろう。しかし、その逃走の果てに衝突するのは同様の「壁」に過ぎない。

 

 自由な芸術=表象が存在するのであれば、それは私的領域に閉じた自慰に過ぎない。資本主義制において芸術的価値が生じるのであれば、市場価値に容認されなければならないからだ。それは、芸術家がどれほど尖ったところで覆ることはない事実なのである。「表現の不自由展」の作品に対して、「税金の無駄遣い」といった類の批判があるが、そのような批判は、ひとまず「芸術」として価値を容認していることを意味するだろう。しかし、そもそもどのようにして芸術に資本的価値の境界は決定されるのか。資本主義制において芸術的価値は事後的に生成されるしかない。これは、資本主義制における芸術のアポリアでもある。「表現の不自由展」における批判は、芸術/政治という二項対立における「政治」の抹消である。つまり、芸術に「政治性」が介入すれば、芸術「ではない」ことを一連の騒動による炎上が意味している。それは、ベンヤミンに倣えば「礼拝的価値」から「展示的価値」の転移から生じる「アウラの凋落」による「政治の美学化」と言えるだろう。

 しかしながら、今回の騒動は、芸術「ではない」と簡単に済ますことができない複雑な因子が絡み合っている。それは、我々の身体性に染み付いた確かな「歴史的記憶」なのである。

 「表現の不自由展」は、「政治の美学化」を遂行した。しかし、「慰安婦像」と「昭和天皇の肖像」の炎上は、外部に「美学の政治化」として政治的アリーナを形成したのだ。無論、それは他者なき聖域としての闘技場である。

 1990年代のポスト・冷戦時代において、「南京大虐殺はなかった」、「慰安婦問題は、国内外の反日勢力の陰謀」などの歴史修正主義や、自由主義史観に依拠した「新しい歴史教科書を作る会」が発足した。彼/女たちの論証は、左/右の軸ではなく、純粋な歴史観の探求は、必然的に「情」に帰着するに他ならない。そして、その最後の砦こそが「天皇」である。近年、リベラル派知識人(e.g. 内田樹宮台真司)の「天皇制」支持への転向は、象徴的でもある。

 

 本芸術祭の芸術監督である津田大介は、現代を「情の時代」というコンセプトを銘打った。しかし、「情の時代」は現代に限った話では、もちろんない。「表現の不自由展・その後」で再び可視化されたのは、左/右でもないつもりの一市民の一連の反応こそが「表現の不自由展・その後」を成功させたという事実である。「慰安婦像」や「天皇」に、パブロフの犬のように「情」を刺激され「不自由」化するのである。我々が、いまだに半封建的な前近代的な未熟な後進国に存在していることの露呈である。「情の時代」の持続を断ち切るには、「天皇制」を問わなければならない。そのとき、「情の時代」は一つの切断点となり、オルタナティブとしての「持続」が開始されることだろう。